むかし、僕の担任するクラスに、「明日くん」という子がいた。
あだ名ではなくて、読み方も「あした」とは読まない。
大事な個人情報だということと、
本人も、面白がっていた重要ポイントなので、
正しい読み方は書きません。
とても気が優しくて、純粋で、聡明で、品格があった。
僕は、その子を、どこまで伸ばしてあげられるか、どきどきしていた。
東大へスッと入ってしまうような生徒と、なぜか重なるものがある。
いまの学校の生徒の中にも、品格で勝る人物は、あまりいない。
そのクラスは、生徒の3分の1が、片親だった。
明日くんも、お父さんはいなかった。
お母さんが一生懸命、パートの仕事をしている。
明日くんも、昼は建具屋の仕事をし、夜は学校へと、忙しい毎日を送った。
次第に学校から、足が遠のいて行く。
欠席の時数が、リミットを迎え始めた。
一度だけ、家庭訪問に行った。
理由は、はっきりしていた。
「本気で仕事をやりたくなった」
経済的な理由だとは、言わなかった。
お母さんは、どうしても高校くらい卒業させたいと思っていた。
本人の割り切り方がはっきりしていた。
「いまの自分は、親のすねをかじって生きる時期じゃない」
帰りがけ、やり場のない憤りを感じた。
それは、明日くんに向けたものでも、お母さんに向けたものでもない。
社会構造そのものに、憤りを感じた。
裕福と幸福とは違うけれど、幸福になることを夢見るのと、裕福になることを夢見るのと、思い描くイメージにあまり違いはない。
高卒という資格の向こうに、幸せをイメージさせることは、僕にはできなかった。
おかしなことに、学校を辞めてからの方が、学校に来る機会が多くなった。
「遅刻」という後ろめたさがなくなったからだった。
それでもやはり、同世代の友達と、話がしたい。
僕も何度か、その会話に参入した。
彼は、いつにも増して、生き生きとしていた。
何度か転勤をしたので、連絡は取れなくなってしまった。
品格のある、親方になった姿が、思い浮かぶ。
僕はいまでも、次の日の連絡を黒板に書くとき、
「あした」と書く。