僕が学生時代、ずっと心に重たく圧し掛かっていた事件がある。
僕には三つ上の姉がいる。
姉は、小さかった僕をマスコット代わりに、あちこちの友だちの家へ、つれて歩いた。
その中に、僕が大好きな、お姉ちゃんがいた。
幼いながら、僕の頭の中で『きれいな人』というのは、
この人のことを言うのだと、思った。
タンポポで花輪を編んでくれたことがある。
小学校からの帰り道に、大きな草むらがあって、
その草むらのタンポポを、無視できる子どもはいない。
たくさんの子どもたちが、その草むらで遊んだ。
姉たちとの学校の帰りが、たまたま同じ時間だった。
姉は姉で、自分のための首輪を作り始めた。
姉の友だちは、僕の頭に合わせて、タンポポを編み始めた。
3年生と6年生という差は、子どもと大人の開きがある。
その人は、あっという間に、タンポポを編み上げた。
頭に載せてみる。
「あら、ぴったり♪」
王冠のつもりが、僕の頭はまだ小さく、はちまきになった。
彼女は、笑いころげた。
僕は、タンポポのはちまきをしたまま、彼女に向かって、愛想をふりまいている。
僕は、小さいなりに、彼女の笑顔の意味は分かっていた。
『笑いもの』なのである。
ピエロのようなものだ。
でも、僕はうれしかった。
彼女が、『僕に』微笑んだ。
それだけで、充分だった。
小学校の3年生までは、一緒に登校した。
4年生からは、同じ校舎で会うことはない。
僕が中学に入ると、姉たちは高校へ上がった。
姉は、なぜか遠くの町の高校だった。
姉の友だちが、どこへ行ったのか、聞いてみたことはなかった。
中学になると、さすがに僕も、自分の周囲のことで、頭がいっぱいになる。
部活や、友達づきあいも、忙しくなってくる。
僕は、近くの高校へ上がった。
それと同時に、姉たちは、社会へ散らばっていく。
姉は、さらに遠くの町の、看護学校へ行った。
姉の友だちは、僕の記憶の中から、消えていた。
僕が高校3年生の夏、事件は起こる。
看護学校に通っていた姉が帰ってきていた。
受験生だった僕は、部屋でじっと勉強していることが出来ず、
家の中と外をふらふらしていた。
目的があったのか、たまたま外へ出ようとしたときのこと。
道の向こうから歩いてくる女性が、僕のほうを見ていた。
笑っている。
誰だろう。
見覚えがあったが、誰だか忘れた・・・
声を掛けられた。
「○○ちゃん(僕のこと)」
不意を付かれ、頭が混乱する。
頭の中にある『きれいな人』のイメージの原型だった。
忘れるはずがない、姉の友達だった。
その『原型』を、彼女は越えていた。