遠く汽笛の音が聞こえた。
線路には汽車が走るのだということを、
そのときまで、考えても見なかった。
振り向くと、踏み切りのむこうに、
煙を上げて、機関車が差しかかっている。
風船をいつ手放したのか覚えていない。
畑を駆け抜け、二本の線路を渡り、崖を登ってたこ糸をたぐりよせ、
何もなかったように汽車を見送る。
そんな姿が頭の中を駆け巡った。
しかし現実の僕らは、ただ二人並んだまま、
足がすくんで、動くことができなかった。
D-51が、吠えながら、近づいてきた。
僕らは、D-51が、たこ糸の下をくぐれることを、祈った。
何度も、たこ糸の高さと、汽車の高さを見比べてみた。
その結果、たこ糸は、D-51の、弱そうに見えるところに、ぶつかることが分かった。
煙突だ。
苦心して張った夢のたこ糸はいま、
「せきにん」という名前に変わった。
僕らは、D-51に、ワナを仕掛けてしまった。
このワナのために、D-51の煙突は、とれてしまうはずだ。
ゴロン、ゴロン・・・
煙突が外れて、転がっていくようすが、頭に浮かんだ。
汽車の煙突は、定規で線を引くように、
まっすぐに、たこ糸にたどり着いた。
たこ糸はピンと張りつめ、くの字に曲がる。
それでも煙突はスローモーションのように進みつづけた。
張り詰めるにも、限界がある。
煙突が、外れる・・・・
僕は目を覆いそうになった。
その瞬間、想像できなかったことが、起こった。
煙突が、たこ糸をすり抜けたのだ。
たこ糸は、ふっと、張力を失って、D-51の側面を漂った。
D-51は、ゆっくりと通り去っていった。
弟と僕は、動くことができなかった。
ひざががくがく震え、目は潤んでいた。
遠く電柱の、結び目が見えた。
たこ糸は、切れていた。
風船が崖までたどりついたのか、それとも途中で止まったのか、
憶えていない。
電柱からたこ糸をほどいた記憶も、おぼろげながら、ある。
しかし、それは、想像上のことのような気もする。
第一、もう一度、線路を渡る気力が、残っていただろうか。
この体験のことは、弟と僕だけの、秘密にすることにした。
父さんにも、母さんにも、先生にも、話しちゃいけない。
この日、僕らは、大きな失敗をした。
しかし同時に、ひとつの、世の中の秘密を知った。
機関車は、たこ糸では止まらない。
これは、僕が生まれて初めて学ぶ、
力学だったに違いない。