僕が中学の時にあこがれていた人のことを、
これから、書こうと思っています。
ただ、中学の頃のことって、あまり、憶えていないんですよね。
なにしろ、中学の頃、あこがれていた人は、アベちゃん・サキちゃん・フルちゃん・・・・
たくさんいるんだけど、
みんな、中2か中3の時に、転校してしまいました。
好きになった人は、みんな遠くへ行ってしまう。
だから、僕は人を好きになったりしなかったんだよ・・・
いいわけしてみたり・・・
みんな「ちゃん」付けで書きましたが、本当は、そう呼べなくて、
その子が友だちから呼ばれるときの名前でした。
ホントはみーんな、「姓+さん」で呼んでいたので・・・
気の弱い中学生だったんだ・・・・
本当は、みんなと同じように「・・・ちゃん」って、呼びたかったんだよね。
人間にとって、人生のすべての『負』の体験は、
後に続く人たちに、『正』のフィードバックとして、
伝えることができます。
「同じクラスの人間から『呼び捨て』にされるのと、
『・・・さん』とか『・・・クン』付けで呼ばれるのと、
どっちがいい?」
「『・・クン』は要らないと思う。呼び捨ての方がいい」
「そうそう(同意見多数)」
「少なくともクラスの仲間なんだから、
『サイトウ』とか『サトコ』とか、呼び捨てでいいよな?」
「でも、『サトコ』というのは呼びづらいっす」
「確かに、一瞬、その場が凍るかもな・・・」
(生徒うなずく)
「だけど、そんなことで凍るのは、最初から冷えているためなんだ。
誰かとの間に『距離を置こう』とするなら、人間関係を冷やせばいい。
逆に、冷えているということは、距離が置かれている。
このせまいクラスの中で、距離を置くなんて、
その設計図は、間違っているよ。」
「センセイ、今のフレーズ、使えますね」
「ありがとう。設計図をかきなおすためには、
距離を置かない努力をしなきゃダメだね。
少なくとも、『・・・ちゃん』付けくらいじゃないと。」
「オレは、『・・・ちゃん』付けはダメ」
「確かに『ケイスケちゃん』は気持ち悪いな」
「気持ち悪いすか? 呼び捨ての方がいいっすけど」
「もしも『アイツにだけは呼び捨てにされたくない』
なんて思う奴がいたら、考え直すチャンスだ。
気づかずに、クラスの雰囲気を、冷やしているんだから。
頭は冷やさなくてもいいから、受け流せ」
そんなわけで、わがクラスは、みんな呼び捨てです。
つながりあう努力というのは、強気で生きる努力でもあるんですね。
そんな反省を込めながら、あこがれの人のことについて、
いま、書き貯めています。・・・・